先日の「あいがも米のイベント」で行ったすとう農産。須藤亜貴さんとは農業女子仲間で、よく事業や女性としての今後について話すことがある。
イベント以外でもよく遊びに行かせていただいていて、海外経験の感覚と元々の性格が加わった素敵なセンスやグローバルでいつも前向きな視点は、女性として、農家として、刺激をもらい学ばせていただいている農業女子の一人。
ところで、そんな亜貴さんを育てた須藤家の”農業女子”がもう一人。彼女のお母さん。4回くらいお邪魔しているのですが、決まって少なくとも30分くらいは亜貴さん母の話を聞くタイミングが自然とある。
亜貴さん母は、いわゆる「農家のお嫁さん」。
お姑さんが大変厳しかったそうで、「大変だったわ」と笑顔で語る。言葉だと『大変』という一言なのですが、その事柄を察するには十分なトーンと雰囲気で語る亜貴さん母。それ以上詳しく聞かなくても『どれだけ大変だったのか』を察することができるのは、私も「農家お嫁さん」だからでしょうか。イベントが落ちついたテーブルを一緒に片付けながらも、笑顔で話す亜貴さん母に見入ってしまった。
何よりさらっと「学ばせてもらったの」という言葉を聞いたときは、確かに私なんかより全然人生経験長いけれど、それでも死ぬまで愚痴や不満が盛りだくさんな人だってたくさんいる中、思わず「どうしてそう言えるんですか」と聞き返してしまう。
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「自分の軸をもつのよ。」
「軸を知らない人もいる。」
「気にしている暇なんてない。」
「生きてい行こうとしたら、そんな悩む時間はないのよ。」
「『食べること』を悟るタイミングがないからね。でも、それも幸せなこと。』
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今の私たちは、食べることに困るタイミングはほぼないし、「昔と比べて幸せだと思いなさい」という話でもない。
ただ、「悟っている」ひとの話は奥が深く、同じ言葉でもきっと響くものが違う。
仕事の上で男性と女性と分けることはできないけれど、やっぱり「性」が違えば役割も違う時もある。
世の中の女性たちが「女性活躍」という言葉に必死で追いつくのがやっとの中、農業女子の先輩たちは戦後子どもをおんぶして畑「仕事」をし、食べて生きてきた。いわば「女性活躍」の先駆けであると私は思う。
女性の場合は、まだまだライフスタイルやワークスタイルに「女性」であるからこその悩みも大きい。
そうした時に、「女性として」「母として」「自分として」「仕事に対して」様々に絡み合った課題と悩みを一通り味わい乗り越えてきたのが、他でもない農業女子の先輩方々なのである。
もしこれからの人生、働き方、生き方・・・
例えば、迷ってしまい目的がなく周りと比べて「これでいいんだろうか」とFacebookに噛り付いて人生のヒントを探すなら、または安心したいためだけに「セミナー」に行くくらいなら、「食べて(生きて)いくことの悟り」を知っている人である「農業女子の先輩」に会うことをお勧めしたい。
「農業女子の先輩」は、意外と近くにいる。先輩たちはきっとまだまだひよこの私たちを優しく強く諭してくれる。
そのとき、あなたの今悩んでいる人生の悩み、女性としての生き方のヒントが見つかるかもしれない。
writing:景井愛実
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